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春たてど花もにほはぬ山ざとは ものうかるねに鶯ぞなく



分析
春たてど花もにほはぬ山ざとは ものうかるねに鶯ぞなく 分析



解釈

鶯の鳴き声を乗り気のしない(やる気のない)、
または、憂鬱な鳴き声だなあと思ったのは、
本人であろうと思われるが、
鳴いた鶯のせいにしているところがポイント。
花の匂いのない山里と鶯の気分の因果関係は全く不明なので、
作者の気分が元ネタと考えるべきである。
とにかく聞いた人が、私もそう思うと思えれば、勝ち。
どっちの気分にするかで、
聞こえてくる声の雰囲気が全く変わることに注意。

注)
寛平元年(889年)〜寛平5年(893)の間に宇多天皇の母后班子女王が主催の歌合。1巻。




歌意

寛平の御時に、后様のご主催なさった歌合の歌

(「ものうかる」を気が物憂しとすると)
立春が来たけれど、(梅の)花も匂わない(咲いていない)山里では、鶯も憂鬱そうに鳴いているよ
(作者が花が咲いていない山里を憂鬱だと思っている)

(「ものうかる」を気が進まないとすると)
立春が来たけれど、(梅の)花も匂わない(咲いていない)山里では、鶯もやる気なさそうに(退屈そうに)鳴いているよ
(作者が花が咲いていない山里じゃ、鶯が来ても張り合いがないよねと思っている)


在原棟梁




感想

「春はやっぱり梅の花の香りがないとね」というのがこの時代の人々の本音なのでしょうね。

「鶯も退屈そうに(憂鬱そうに)鳴くだろうね」と
梅の花の香り(名物)がないときの鶯の気分を詠っているから、
面白いといえば面白い。

山里なのに梅の香りもないなんてダサいとまで思ってるんじゃなかろうかとまで、深読みしたくなる。
要するに、「有りか無しか」で言えば、「無し」のほうに入るって言っているわけだし。




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