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> 42. 人はいさ 心もしらず ふるさとは 花ぞ昔のかにほひける
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久しぶりに宿泊した家の主に、「なぜ毎回来ないのだ」と不義理をなじられて、
「私は昔と変わりませんよ」と証明してみせた歌。
梅の花を手折って嗅ぐという行為を実際にしてみせて、
疑っている主にその様子を実際にその目で見せて、
「花の香りは昔と同じだったよ」と言うことで証明してみせたかったのは、
自分が梅の花の香りをかいで存分に楽しめているということは
自分の心の主の梅の花に対する感じられ方が変わっていないということで、
つまり、作者の主に対する心も昔と変わっていないということなんです。
(もし不義理なのであれば、主自慢の心づくしのものに対して昔と態度が変わるんじゃないかと思います。)
初瀬観音に詣でるたびに泊まっていた人の家に、
長いこと泊まらないで久しぶりに尋ねたところ、
その家の主が「このようにきちんと(あなたの)泊まる場所はあったのだ(待っていたのだ)」と言い出したので、
すぐそこに立っていた梅の花を折って詠んだ歌
人の心の中は、さあどうだかわからないものだ(けれどもね)
昔なじみの土地の花はちゃんと(やっぱり)昔の香りで匂っているなあ
紀貫之
紀貫之が泊まることで何か宿主にとって計算上の利益があったのなら、
紀貫之もわかっていて行動しているだろうと思われるので、
この二人は心の通い合う友人関係にあったのかなあと思われる。
その気がなくて不義理を言われたら、
そりゃなんとかして自分の心を証明するんじゃないかと思う。
ちなみに、
どうも紀貫之さんは自分の行動の意味がわかっていて、
「人の心はわからないけれどもね」と
前置きをしてから、
自分の心が自然とどう動いたのかを伝えているんだと思いますよ。
本気で楽しんでその様子を見せているのでしょうから、
本気で変わらぬ心地なんだと思いますよ。
(自ら進んで、自分を試しているんです。)
詞書きがないと、ここまで読めないと思うんですよね。
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