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やまざくら わが見にくれば 春霞 峰にもをにも たちかくしつつ



分析

やまざくら わが見にくれば 春霞 峰にもをにも たちかくしつつ
分析



解釈

言葉通り、山桜を見に来たら、春霞で山の上から下まで隠されて、何も見えなかったよという歌。
特に、がっかりしたとか、興覚めだとかの感想がないけれども、
「わが見に来れば」という言葉で、自分がその場にいるということ、わざわざ見に来たということを強調しているので、 さぞ残念だったろうと思う。
自分の感情を直接言わず、自然のすることだからと
どこか余裕のあるとぼけた雰囲気がするように思われる。

別の解釈をすると、山付近に住んでいる人が位の上の人に、
山の桜の様子を知らせるための和歌ともとれる。
これはこれで、遣いを全うしていない状況報告の返事をきれいに詠んだなあと思われる。
歌の方が、受け取るほうのがっかり感が少し軽減され、機嫌をとれるという次第である。
この場合、歌の最後の「つつ」が状況報告説を後押しするものになりそうだ。
ちなみに、「つつ」で終わることで、
「(報告に中身がないのは)僕にはどうしようもないことだし」という感じがにじみ出ている。




歌意

題不明

(解釈その1)
山桜を私が見に来たら、春霞が山の峰にも裾野にも立っていて、ずっと隠されていたよ

(解釈その2)
山桜を私が見に来たところ、
春霞が(確認しようと努力している間)ずっと山の峰にも裾野にも立っており、
山桜は隠されておりました
(視認することができませんでした)
詠み人知らず





感想

どれだけ離れた距離から山桜を見に山に来たのかはわからないけれども、
遠いところからであればある程、作者への好感が増す。
自分の立場だったらと考えると、やっぱりかなり残念だと思う。
昔の人なので、来年が必ず来る確証が今よりも断然低いと思われるし。
「また来年」と気楽に言えるとは思えない。



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