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春の日のひかりにあたる我なれど かしらの雪となるとわびしき



分析
春の日のひかりにあたる我なれど かしらの雪となるとわびしき 分析



解釈

「頭の雪」は2つの意味がかけられている。
1つ目は詞書きにあるように、空からちらついてきた雪であり、
2つ目は自分の頭にある白いもの、すなわち白髪である。
白髪にかけて、雪が降ってくる中、外にいるのは辛いと言っているのである。

また、「春の日の光に当たる」も2つの意味がかけられている。
1つめは正月を過ぎたので、季節は春である。
その春の光という意味である。
2つめは春は東に当てられるので、
東宮の御息所の寵愛を受けているという意味になる。




歌意

二条后さまが皇太子の奥さんと言われていた時の、
1月3日、御前に呼んでお言葉をかけている間に、
太陽は出ているけれども、雪が頭に降りかかっていた時に
お詠ませになりました

本日のような春の日の光に当たっている私(東宮の御息所の寵愛を受けているありがたい立場の私)ですが、
さすがに頭の上に雪が降ってくるのは私の頭の白髪のように切なく情けない心地がします。


文屋康秀




感想

二条后さんも若かったようで、
変わったことが起こったことに興奮して、
雪のちらつく中外にいてじっと自分の言葉を聞いている家臣(自分より年上)の気持ちまで
汲んでやれなかったに違いない。
作者のほうも重宝されていることから、
子供をあやすようにしつつ、自分の気持ちを正直に訴えている。
情けない気分だとはっきり言っているところが面白い。
自分に対するこの扱いは、あんまりだと思ったに違いない。
子供の気まぐれ遊びに付き合う、
いい年した大人の情けない心地も出ている。



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