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23.「はさみうちの原理」の問題の解き方に関する1考察

高校生の数学の極限の問題で、「はさみうちの原理」を習うと思います。

「はさみうちの原理」とは
例えばxに関する3つの関数A、B、Cが
xの定義域にあるどんな値xに対しても
A<B<Cが成り立ち、
xのある値の極限をとるとAもBもある値Dに収束する場合に
間の関数Bもxのその値の極限を取ると、値Dに収束する

という原理です。


xの定義域の範囲内で有効な関数A、B、Cの大小関係を一旦示すと、
xの定義域の範囲内で関数A、B、Cの値の順序が変わらず、
つまり、お互いに追い越し追い越されることがないことが保証されるので、
両端の関数A、Cが同じ値に収束するとき、

間の値の関数Bの値も 関数A、Cと一緒に同じ値に連れて行ってもらえる
つまり、同じ値に収束する

という、根本原理です。


高校数学や大学入試で、
この「はさみうちの原理」を用いて、
「興味のある関数Bがどんな値に収束するか論証しましょう」
という問題が見られるか

と思います。


実際にどういう風に解こうかというのが
この記事のテーマです。


「はさみうちの原理」を用いる場合、
両端の関数AとCは
大小関係が明らかで、同じ値に収束しさえすれば、
どんな関数でも選んで良いのです。


ですから、
どのようにして両端の関数A、Cを決めたら良いかが
数学的には決まっていません。


「はさみうちの原理」の利用的には
条件さえ満たせば、どんな関数でも使って良いので、
(論証の根拠となる味方として
誰を連れて来ても良い的な発想です。)

「論証に必要な関数を
どのように導き出したら良いかがわからない」
と思っている人がいるかもしれません。


そのため、
「はさみうちの原理」を使う問題に関しては
目標もわからず、
やたらめったら問題文の式をいじって
「たまたま答えがでてきたら、もうけもの」
というイメージを持っている人がいるかもしれません。


しかし、
高校数学でよく見られる問題の形式として
問題文中に提示されている関数を式変形すると
「はさみうちの原理」を用いて比べたい関数A、B、Cが見つかる
という問題があるかと思います。

自分で関数を思いついて、
連れてこないとならない場合もあるかもしれませんが、
その場合は探さないとなりませんが。


高校生の場合、このような問題形式が多いと思っているので、
「答えは問題文中にあることが多いよ」
という指導をしてきました。


そういう問題の場合、
そういうつもりで問題文を見て、
適切に関数Bを導くようにすれば、
自然と両端の関数A、Cと、それぞれの大小関係が導き出されて、

「即解決」
となるのではないかと思います。


「解けるように、準備されている可能性が高いよ」
というヒントを伝えると、
解き方としてチート的で
学習内容が減ってしまうのではないか
という意見もあるかもしれません。


しかし、そもそも問題を作る段階で
そのような関数A、B、Cありきで問題が設計されていた場合、
それ以上の数学的な意味は
その問題にはないでしょうから、

遠慮なく、関数Bを導き出すように
式変形してしまって良いのではないか

と思います。


さらに、
論証をする際に必要な材料である関数AとCを手に入れるために
「自分の都合よく式変形する」という発想自体の学習と、
式変形の経験を積むことが
トレーニングとして重要ではないか
と思います。


「恒等式」で、
任意の式変形をした関数の値が同じであることを学習しますので、
(「18.同値って何?」もどうぞ。)

さらに、発展させて、
式変形の意図が「シンプル化する」というもので、
それに向けて式変形をするのが
式変形としては本来的には当たり前ではなく、

式自体は道具ですから、
自分の必要に応じて、自由に式を変形し、自由に利用する
という発想の段階のトレーニングになるだろう

と思います。


大学以上で、関数(式)の性質を解析する際に、
関数の表す意味が分かるように式変形することがあるのですが、
それの前段階の準備として
有用なトレーニングではないか

と思います。
(高3の生徒の学習としては大学での学習準備として適切ですよね。)


また、
むやみやたらと、
恣意的に自由にやって良い式変形を
意味も目標も意図も分からずすること自体
人の行動として意味のない不可思議な行為で、

そのような不健全に精神を消耗するような行為を
問題を解かせることで
高校生に強要するのは
よろしくないのではないか

と思います。


なので、

大学入試という限られた時間で
解いてもらわないとならないという制約もあって、
問題文中に論証に使える材料がある問題が出されてきた
かもしれませんが、

トレーニングの意味を考えると
「とりあえずは問題文の中に論証に材料があるよ」という
「はさみうちの原理」をモチーフとした問題の解き方の
指導をしてしまって良いのではないか
また、
そのつもりで解いてしまって良いのではないか

と思います。


問題文中に材料がなければ、

「はさみうちの原理」がわかって、
適切に論証に必要な式変形できるかどうか
(論証したい意図に合わせて自由に式変形し、利用できるか、 式変形の目標を自分で設定して、その目標に合わせて式変形できるか)
の能力を
試される問題ではなく

「はさみうちの原理」がわかって、
論証に必要な関数を連れて来れるかどうかの能力を
試されているだけですので、

自分で論証に使える関数を探すことになるでしょうけれども。


様々な「ねらい」による式変形をすることを勉強することや、
「はさみうちの原理」自体の考え方に触れることは
学習する高校生の頭を柔らかくするものだろう

と思うので、

高校生の学習内容に入っていることは大切であろう

と思っています。


注)実際に高校生用の「はさみうちの原理」の問題を解いてみて
もう一度読んでみると良いだろう
と思います。


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