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> 52. 年ふれば よはひはおいぬ しかはあれど 花をし見れば もの思ひもなし
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「花」が何を指し、何を感じさせるものかということがポイントになる。
1.毎年、季節が来れば、変わらず花をつける桜の花
2.桜の花が花瓶にきちんと挿されていて、自分の娘(染殿の后:明子)が帝に大切にされているという印
3.自分の娘
自分の娘のところへ行った太政大臣が詠んだ歌。
当然、自分の娘が嫁ぎ先で大事にされているか確認するであろう。
自分は老いて、ゆくゆくは死んで朽ちてしまう運命にあることはわかったうえで、
娘が大事にされている証の花と娘を見ると、末代までの心配がないと思われるという意である。
染殿の后の前に、花瓶に桜の花を挿させなさったのを見て、詠んだ歌
年が立てば、私の年は取りおいてしまう
そうではあるけれども、毎年、季節が来れば、変わらず花をつける桜の花と(このように帝に大切にされている)わが娘をみれば、
この先のことについてさまざまと心配するような気がかりな物思いはない
先の太政大臣(藤原良房)
ただ単に花を見て、経年変化なく必ず花をつけるということで、
いつかは滅びてしまう身である自分の身が救われるという歌ではないと思う。
天皇にはなれずとも、この世で一世を風靡した太政大臣の自分の子孫を見たときの歌であるから、
必ず自分たち一族の(ひいては自分の光の)将来続くであろうという希望を
桜の花から見て取ったと考えるのが自然である。
作者のたっぷりと太った腹が目に浮かぶような気がする。
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